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2007年2月25日 (日)

学校現場が特別ではない

昨年から今年にかけて、学校を舞台とする何とも痛ましい事件が後を絶たない。北海道滝川市、福岡県筑前町のケースは何度も報道されたが、そこに見えるのは一連の企業犯罪同様、保身に走る醜い大人達の右往左往だけである。

昔から解せないのだが、いじめや教師による体罰という名の暴行がなぜ、学校の中だけで処理されるのだろうか?。例えば集団で金品を巻き上げる行為は恐喝であるし、殴る蹴るは暴行・傷害罪、集団で誰かをいじめた結果、いじめられた子供が自殺すれば、強要罪の適用になる事もある。教師による体罰はシチュエーションにもよるが、暴行であり教育ではない。

体罰といっても頭を引っぱたくぐらいはそんなに問題視されないだろうが、鼓膜が破れたり鼻の骨を骨折する程に殴るとか、腹部を蹴る、髪の毛を引っ張り引きずり回すなどというのは「かなりタチの悪い暴行」であり、力関係から言ってもリンチより悪質であろう。

『金八先生』の時代であれば、教育現場に警察が介入するのは教育の敗北であった訳だが、いとも簡単に人が死ぬようではどうしようもないわけで、いじめられたら担任に相談する前に警察に被害届を出すべきである。

教育再生会議も思わぬ方向へ迷走しているようだし、ヤンキー先生の言う事もピント外れに近い。そうこうしているうちに現場は混乱し、人が死ぬのである。

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2007年2月22日 (木)

お医者さんやーい!

いわゆる新臨床研修制度の影響で大学病院に医師が集まらなくなり、関連病院への医師の供給がストップする事例が相次いでいる(まあ、引き上げともいいますね)。

まあ、江別市立病院や夕張市立病院の件はトラブルという気がしないでもないけれど、いわゆる「医師不足」という観点から見ると、室蘭の日鋼記念病院あたりから新聞ネタとして登場し、旭川日赤をはじめとする道北の公的病院。そして、今年に入ってからは根室市立病院の医師引き上げ等が大きく報道された。

そして、小樽協会病院や市立小樽病院の診療機能の縮小。市立函館病院の産婦人科・精神科の外来縮小。釧路労災病院の小児科と産婦人科機能を釧路日赤病院に集約化。市立釧路総合病院の循環器科医師減員など、地域の基幹病院でも少しずつではあるが医師は減っているのだ。

色々とニュースを見てみると診療科目では、やはり小児科と産婦人科が圧倒的に多く、脳外科や循環器科などハードな分野も影響が大きい。地域としてはいわゆる僻地は勿論の事だが、圧倒的に道北の病院から医師が引き上げているわけだ。

言い方を変えれば「旭川医大系列の病院で医師の引き上げが多い」という事でもある。根室も稚内も名寄も、もちろん旭川市内も例外ではない。旭川日赤病院というのは北海道でも指折りの大病院。そこから小児科や産婦人科が撤退する(恐れ)というのはただ事ではないのだ。

1970年代、北海道に国立医大を誘致する際、釧路と旭川はデットヒートを繰り広げ、旭川が勝った。従って、旭川の大病院は旭川医大から医師の安定的供給を得ていたが、釧路の大病院は旧来通り北大と札幌医大から医師の供給を受けている所が多い。

しかし、何たる皮肉。旭川医大病院の研修医マッチング率が道内3大学の中でも群を抜いて低く、大学病院さえも人出不足。医大誘致の勝利者である旭川の方が敗者の釧路よりも医師の引き上げに遭っているのだ(まあ、北大も札幌医大も人手不足だとは思うけど)。

釧路の大病院(市立、日赤、労災)の場合、医師の数は減っているものの、診療科の休診は釧路労災の小児科と産婦人科ぐらいのものであり、逆に医師が増えている科もある(この傾向は帯広も一緒)。しかし、旭川日赤の場合は医師の集約化ではなく、単純に診療科の廃止の可能性がある(医師はかなり減っている)。30年以上前に、このような現象に陥るとは誰も想像しなかったに違いない。

こういった医師の偏在(地方の医師不足)は北海道だけではなく全国で発生しており、マスコミが盛んにキャンペーンを張っている。今の政治や行政は感情論に弱いので、応急処置的なものでも、こういった事態を回避する手段を取らざるを得なくなるだろう。最も考えられるのが、「医師の養成には税金が投入されている」という一種の屁理屈で、初期研修を終えた医師が数年間、地方の基幹病院勤務を義務づけられるという事だろう。きっと、基幹病院から更に僻地の病院へ医師を派遣するシステムも作るに違いない。だが、地方から医師が逃げていくのは「人間扱いされない程のハードワーク」だけではなく、「高い給料を払ってるんだから死ぬまで働け!」という地方自治体の首長の認識不足にあると思う。

厚労省は「医師不足は地域が何とかする事」とクールな姿勢を取っているが、これは、財政再建団体入りをする夕張市を散々脅しておいて、後で救いの手をさしのべる(ショック療法をしないと地方自治体は何も学習しない事を熟知していたのでは?)方法と一緒だ。いつまでも「中央省庁に陳情すれば何とかなる」なんて事を許してはおけないという事だが、余り酷い状況が続けば政府も何とかするに決まってる。

特に自治体病院の場合は、「自分の病院で医師を育てる」なんて事を思わずに運営されてきた所が多い訳で、国や道や大学に陳情に行っているうちはきっとダメなんだろう。自立しなければいけないんだな。

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2007年2月13日 (火)

殉職

東京都板橋区の東武東上線ときわ台駅で6日、自殺を図ろうとした女性(39)を助けようとして電車にひかれ、重体となっていた警視庁板橋署常盤台交番の宮本邦彦巡査部長(53)が12日午後、板橋区内の病院で亡くなった。職場には、地元の住民らから「交番の宮本さん」の復帰を祈る手紙や折り鶴が届けられていたが、願いはかなわなかった。12日夜から13日午前にかけて、200人以上が交番で記帳した。

残念。非常に残念である。だが、これを「職責を全うした」と言わずして、他にどんな言い方があるのだろう。巷ではスキャンダルにまみれた政治家や経営者が「職責を全うする」という言葉を自己保身のために使っている。

自らが職責を全うするという覚悟と気概を持つ事は大変な事である。特に警察官や消防士は扱う対象が「生命」であるだけに、「自らの生命を犠牲にして」職責を全うする事がある。

日本警察の「交番」という制度は世界に類を見ないほどの優れたもので、宮本巡査部長も「宮本さん」と近所から慕われた「おまわりさん」である。彼が常に職責を全うするという気概を持って職務を遂行していたからこそ、あれだけの人が彼の生還を願っていたに違いない。

生命の重みが感じられない乾いた世の中で、身を以て生命の重さを示してくれた彼がまさに日本人の誇りである。交番に弔問に来た9歳の男子児童は、わざわざ自宅から自転車をこいで、その冥福を祈ったのである。このように子供に対し模範を示せる大人が現在、どれだけいるのだろう。ひとが亡くなり、悲しい筈なのに、その悲しさと同時に、ちょっとだけ心がほっとするのは何故だろう?。

宮本巡査部長は2階級特進により、宮本警部となった。

身体が死しても、魂は永遠に生き続ける。

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2007年2月12日 (月)

真の人間関係って?

ワイドショーで未だやってる、妻がワインボトルで夫を殴りバラバラにした殺人事件。

犯行に至った原因はよくわからないのだが、一つ言えるのは狂気の沙汰だと言う事。どう考えても正常ではないだろう。無責任なコメントを垂れ流す「心理学専門家」の戯れ言を真面目に聞く気にはなれないのだが、この容疑者の最大の不幸は「真の人間関係を築けなかった事」ではないのかな?。

周囲の「自称:友人」とやらの証言がこんなに出てくるという事は、本当の友人が少なかったという事ではあるまいか?。本当の友人ならテレビやメディアにしゃしゃり出て、他人になぞ知られたくないであろう夫婦関係についてコメントなんてしない筈だ。その「自称:友人」が取材で金銭を要求しただのしないだのと報じているメディアもあるけど、それが本当だとしたら薄ら寒い。

今、32歳という事は高校在学中にバブルが崩壊した世代。俗に「団塊ジュニア」と呼ばれている世代であるが、数が多かった訳で受験も就職も大変だったと思われる。本当の意味でバブルの好景気を楽しんだのは今の38~42歳ぐらいであって、バブルの負を背負った世代なのかも知れない。高校時代に「東京ラブストーリー」のような世界に憧れて、実際に待っていたのは虚構と現実とのギャップだったというわけだ。

大半の人間は憧れと現実の相違を受け入れて、2,500円のランチではなく、380円の牛丼を選択するのだが、「そんな筈はない」と妄想を現実にするために異常な努力をする人も出てくる。これは、「偏差値が高い人こそが報われる」という幻想に追い立てられて、お受験に精を出す子供(と親)と同じ発想である。

よくわからないが、この容疑者は殺した旦那も高級そうなマンションもワインボトルもブランドだったのではないか。しかし、それを幸せと勘違いした事が不幸である。

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